【自分の機嫌は自分で取るべし】

※自分の備忘録も兼ねて書いてます。
  
つい先日
自分の機嫌が自分で取れなくなりました。
  
怒りの感情が収まらないのです。
収まるすべが見つからないのです。
  
  
今回このトリガーは
自分以外の人の言葉や反応です。
  
最初は、この「発端となった事柄=課題」を解決しようとしました。
白か黒か、はっきりさせようとしていたのでしょう。
  
でも、
相手からは私の欲しい反応はもらえません。
私の気持ちを汲んでほしいという期待も叶いません。
そしてその課題自身も解決に至りません。
    
火をつけた相手に自分の機嫌を直してもらうことを無意識に期待していました。
   
でも、ぐぐぐっと我慢して、自分の中で処理しようとしました。
  
  
それでもなかなか
自分の機嫌は治りません。
考えても考えても、治りません。
  
  
やってもだめなことは
放棄するのではなく
「一旦脇においておくといい」 と
ある方が言っていました。
なので、それをやってみました。
  
「あほくさ。。。」と思えるまで、置いておくことにしました。
無理にどうにかするのをやめたのです。
  
これは自分を大切にする方法であり、
相手を巻き込まない方法でもあるのではないかと。
  
  

そしたら、「あほくさ」のタイミングはことのほか早くやって来ました。
トリガーとなった課題も、見方を変えればおいおい解決されればいいことなのです。
  
  
今までの自分ならば、自分も相手も傷つけて疲弊させていました。
相手が悪いわけではないのです。
  
  
もしこんなネガティブな感情が
  
たとえ自分の中から自然におきたものであっても
誰かの何かが発端となったとしても
    
「一旦脇においておく」
    
「自分の機嫌は自分で取る」
   
  
  
しなやかに生きるために。
自分の人生を自分で責任をとるために。
自分の人生を楽しむために。
  
にゃは★

【2016年〜ゲキドウ】

自分の備忘録として、残します。
 
 
 
実はちょうど1年をかけて取り組んできたことの「良い結果」が昨日でた。
今まで開けたことのない可能性と好奇心への扉の鍵が手に入ったことになります。
 
さて、ドアをあけたらどんな世界がまっているのか。
 
 
 
去年はかなり日本にいなかったけれど、
今年はまったくパスポートの出番はなかったなぁ〜。
 
代わりに、家事が楽しくてw
自分の違う面を再発見できた。
 
 
 
実家から出る度に増えたモノを実家に持ち帰り、
母が後生大事に貯め続けたモノとあわせて、
消費しきれなくなったモノたちと、自分なりの方法とペースでお別れした。
 
ずっとしようと思っていたことに、やっと手を付けられた。
そして、ほぼ終わった。
 
 
 
同時に、会社員のとき「身を削って頑張ったことへのご褒美」みたいな
時計やバッグ、諸々も手放しました。
 
だって、もうそういう「代償」としてのご褒美は必要なくなったから。
 
 
 
そして、予想だにしなかった「母との関係の変化」
自分の人生を生きるって?って問い続けてきた答えの1つが
ここにあったとは気がつかなかった。
 
心も体も揺れまくったけれど、その結果として新しい選択が見つかった。
 
 
 
そして今年出会った人達をはじめ、いろいろな方向から支えていただいた。
多分、今まで「私はこれ以上できません」って
言えなかったし言いたくなかったけど
 
それを言えたことで、とても楽になれた。
 
 
 
 

こうやって書くと、たったコレだけの表現に集約できてしまったけど
長くて短かった、、、この1年でした。
 
 
 
つくづく思うのですが、
進んでいる方向が間違っていないとき、外部からの障害物はほとんどないみたい。
ときどき現れる障害物は、自分の中からだけです。
 
そしてそれを乗り越えるかどうかは自分がきめること。
 
 
だから、来年から新しいスタートが切れそうです!
 
 
 
みなさま、良いお年をお迎えください★

【「たとえば」が示す、引き出しの多さ】

自分が人と話していて、
人様が話しているのを聞いていて、

刺激受けるなぁとか
引き込まれる人というのは

「たとえばさ、ーーー」
  
をたくさん使っているなと思います。

一般的な話を、
相手のエリア(レベル)の内容に
落とし込めるという能力があるということ

たくさん「情報」を取り入れて
たくさん「行動」や「体験」をしている人だから
できるのだと思います。

情報をいれるばっかりのひとも
何も考えずにがむしゃらに何かをしているだけのひとも
どっちも、説得力が足りないでしょう
    
  
こういう能力の備わった人は
  
何かの相談を受けたときや
意見を求められた時
  
この人すごいな
また話を聞きたいな
  
と思わせているんですよね。
  
 
その人の引き出しを表すのは
「話す」という一回ポッキリの場
でないとわからない気がします
  
  
「書く」では推敲され得るし
時間をかけて表現が作られるから
  
  
  2016-02-24-12-50-36
AIのロボットくんたちと会話する時代が来た時
彼らはこういう能力を持てるんだろうか?

もし持てなかったら
やっぱり人との関わりはやめられない〜
ってことになるんでしょうね。

ディープラーニングによって
この能力を持ちそうな気もしますけどね。

にゃは★

【逃げなのです、これは多分】

ごぶさたしておりました。
なかなか、、手が動きませんでした。
  
  
考えをまとめてから書こう
いい表現が見つかったら書こう
  
これはしょうもないからやめておこう
一瞬思いついたけど、夜になったら思い出せなかった
  
  
こうしてずっとアウトプットをせずにいると、
確実に書けなくなりますね。
  
  
  
絞り出すようにしてでも
形にするということをしないと
  
結局自分のなかで堂々巡りがはじまり
  
  
本当は表に出てきたかった考えや思いやアイディアが
行き場を失ってしまうのです。
  
  
本当はそれを昇華しておかないと
次への何か が湧いてきません。
  
   
  2015-11-20-15-17-06-%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%92%e3%82%9a%e3%83%bc
コツコツ続けることで
結果を出している人は大抵こう言ってます。
  
特別な能力があるから
結果がでたのではなくて
  
続けたからこそ
結果が出るんだと
  

  
できない自分に失望するとか
そういうできない理由を
ごちゃごちゃ言ってないで
  
  
結局、
  
反射神経みたいに、半ば機械みたいに
続けた先に
  
何かがあるんですよ。
  
  
つまづきグセのある人、一緒にがんばろ〜!
  
にゃは★

【あわせ鏡】

母親と娘
  
この関係がいろいろと物議をかもしているという社会現象が
まさか自分にも当てはまるとは
夢にも思いませんでした。
  
  
ずっと仲が良かったですし、
母のために娘として何かをすることに
ギモンを感じたことはありませんでした。
  
  
うちは父がわりと早いねといわれる時に他界しているので
その分、母に寄り添ってきたつもりでした。
  
母は、よく周りに言われたものです。
「幸せだね、娘さんと一緒に◯◯できて」
  
  
  
でも、状況はかわるんですね。
  
私には、今まで感じたことがない感情が湧き出し
母には、自分の老いを意識せざるを得ない状況が起きた
  
お互いがあわせ鏡のように見えます。
  
  
  
私自身が、「自分の人生をどう生きたいか」に
きちんと向き合えたからこそ、
  
母がそこから相変わらず目をそむけているのが
とても耐えられなくなった。
  
きっとそこに、かつての自分が見えたのだと思います。
  
そして共依存のような状態から
私が抜けだそうとするのに
ついていけない母に困惑したのです。
  
  
自分の世界だけに閉じこもっている母に。
  
  
  
人は一人ではすべてのことはできないし
誰かの力を借りなければいけないことがたくさんあるし
  
何よりも
あなたの残りの人生を、ちゃんと考えて欲しい
    
  
  
今度は合わせ鏡として
  
私は私の人生を生きていることを
ちゃんと母にみせることで
  
そんなメッセージを送りたいと思っています。

【空間のふしぎ】

まだまだ絶賛、実家断捨離中です!
  
モノに埋もれていた日常から
吹っ切れたように、モノに対する執着がなくなって
  
一体何年、1ミリも動かずそこにいたのか!?という
モノモノモノ
  
  
祖父と祖母の使っていた物
私が幼かった時からあった物
父が集めていた物
  
そして
母からだんだん
適正量を保管する という意識を奪っていったモノたち
  
  
  
少しづつ、少しづつ
家からいなくなり
  
「空間」が現れるようになりました。
  
  
そしたら、その奥に隠れていたものの存在が見つかったり
その場所におかれるのにふさわしいもののイメージが湧いたり
  
不思議ですねぇ。
  
  
  
人間も同じです。
  
自分の持っているキャパいっぱいいっぱいで日常が成り立っていたのを
1つでも、その日常から取り去ってみると
  
その「空間」に空気の通り穴ができて
新しい風(出会いやチャンス)が入ってくる
  
  
空くのを待っていたかのように
新しいことが起きてくる
  
  
人は変化を避けたがる生き物とか
よく言われますけど
ホント、そうでしょうか?
  
  
何かを1ミリ動かしてみたら
何かを1つ手放してみたら
  
じつは自分の周りは常に変化していることに
気づくのかもしれませんよ〜
  
  
にゃは★

【No act , No gain】

(一週間ほど、ちんもくしておりました。)
  
家族の体調が変わったことにより
変化の連続から、少しづつその一部を日常に変えていっている感じです。
  
  
こんな状況の中で
ありがたいことに新しいお仕事の機会もいただき
それが逆にカンフル剤になっています。
  
  
フリーランスだからと1人でもんもんとしていたら
苦しくて潰れていました!
  
「チーム」で1つのことに取り組む。
  
それぞれが強みを持ち寄り
でも、自分の枠を超えてアイディアを出し
イイモノを生み出し、価値を提供していく
  
  
今回のお仕事は、完全バーチャルチーム!
住んでるところはテンデンバラバラ。
  
これができるのは、やはりIT環境が行き渡った結果であり
いい時代になりました★
  
  
  
私の好きな仕事の形態は、やっぱり「プロジェクト型」
ー期限が決まっているから、緊張感があり
ー終わりがあるから、ダレないし
ー何をつくるか、どうなっているか、があるからイイものにしたい
  
そしてなにより、
ー毎回関わる新しい出会いがあるから、新しい発見がある
  
  
2015-11-19 17.02.14-1  
「動かなかったら、何も変わらない」のです!!!
  
  
私も含めて、暇だからと新たな行動を起こす人はおらず
みんなやることはてんこ盛り。
  
自分の24時間の中に、この仕事に割くエネルギーも含めて
何かしら払い(失い)、何かしら得ることになるんですよね。
  
  
何が生まれるか、何が変わるか
あ〜、楽しみでしょうがないです❣❣❣
  
  
にゃは★

【「許す」という柔らかさ】

自分をとりまく状況が厳しい時
そこから何かを気付けと教えてくれているのだと
思うようにしています。
  
  
そんな心境にとても響いた言葉が
私が一目置かせていただいている映像クリエイターの方が最近言っていた

「ビジネスってどれだけ許せるかだと思う」

という言葉です。
  
  
ビジネスは人対人です。
その関わりの中で、相手を「許せれば」どんどんいろいろなことが進んでいく。
  
  
あれ、おかしいな?と思った瞬間、
何だコイツ と感じ、許せなくなったら
その瞬間から動きは止まってしまう。それ以上は進まなくなってしまう。
  
  
でも、
もうちょっとやってみようか
相手にも事情があるかもしれない と許すスタンスを取れば
その関係は止まらずに事態は動いていくかもしれない。
  
この柔らかさが大切なのだなと、自分なりに解釈しました。
  
  
  
これは、ビジネスにかぎらず
結局は人と人が関わりあう場面では
すべてでいえるのではと思います。
  
ビジネス
友人、知人
恋人
親子
  
その距離感の違いはあれど、
相手を許して前に進むか、許せず止まるか
  
  
自分の心のバランスと、この許すスタンスは
関係している気もします。
  
  
許さず硬く狭まっていくよりも
許し柔らかく広がっていく関係性を取っていきたいものですね。
  
にゃは★

【てっとり早い方法なんて、ないでしょ】

耳さわりのいい言葉、表現
ワクワクさせてくれる雰囲気
  
「◯◯するだけで、、、」
この人ができたんだから、自分にもできそうかもって
  
悩んでいる、困っている人ほど
こんな表現に引き寄せられる
  
  
その人のキラキラな部分は
(その人がイヤイヤかもしれないけど)
コツコツ努力した結果であって
一番輝いている瞬間を見ているだけ
  
じゃあ、あなたも人知れず
コツコツできますか?
  
  
  
「同じようにしさえすれば大丈夫」
「その通りにしないとだめ」
っていうのも、私は信じない
  
  
全く同じことをするなんて
そもそも不可能でしょ

やり方も速度も、環境も時期も微妙にちがうんだから
同じにやったとしても
全く同じ結果がでる保証はありません
  
  
もしかしたら
そう言っている本人さえも
そこがわかっていないかもしれない
  
なんか言われるままにやったらできちゃった!って
言うだけで、論理的に説明できないかもしれない
  
説明できないなら、
再現性があるかは疑わしいですよ。
  
  
  
そんなことを思いながら
いろいろと流れてくるタイムラインを見ています
  
  
焦ってるあなた、悩んでるあなた
冷静な部分を忘れないでいましょうね。

【全部自分でやれるとカッコいいけどさ。】

最近つくづく感じることなのですが
  
何でも1人で頑張ろうとしても
しょせん限界があるし、結果はたかがしれている
泣きたくなるぐらい、疲れてしまうようになりました。
    
  
ネット上でほとんどほしい情報が手に入る時代ですが

それは裏を返せば、
「基本、自分でやるんですよ」と言われているようにも感じます。
  
好きなことも、嫌いなことも
簡単と感じることも、苦手と思っていることも
得意なことも、不得意なことも
  
やり方はほぼ無料で手に入ります。
  
その情報を得ながら、全部自分でやれちゃう人は
すばらしいと思います。
  
  
でも1日は24時間だし、体力も気力も限界がある
  
何でも自分でやらないとと
自分を追い込んでいましたが
それは正解ではないんです。
  
   
  
例えば今回の母のことで
私はもうこれ以上は無理、ここは私はできないというポイントが分かりました。
  
結果、全部自分でやることを放棄しました。
いい意味での放棄です。
  
  
そうやって肩の力を抜いたら
自分ができないこと、苦手なことの
ピースを埋めてくれる人や方法が見つかる気がしてきました。
  
それをするのが得意な人、苦にならない人が必ずいるんですね。
  
  
自分で全部やります!できます!ってカッコいいです。
でも、人は不完全なもの。
  
そこを補い合って助けあって協力しあっていくことが
こんなにホッとして温かいと
今更ながら気づくことができました。
  
  
  
なんでもそうですね。
  
1人のアイディアより、誰かと誰かのアイディアの融合が
1人の労力より、誰かと誰かが補完しあうほうが
1人の勢いより、チームの情熱と冷静さの間のほうが
  
!!!シナジ〜!!! が生まれますよね\(^o^)/
    
  
  
1人で限界を感じているあなたも
そんな「誰かと」のすばらしさを
感じて欲しいです。
  
  
にゃは★