【死が遠くにあったことに気づく】

お久しぶりです。

この2,3年で、私のライフスタイルは大きく変わっています。

「死」についてきちんと向き合うべき状況になってきたという感じです。

私にとって今まで死はあまりにも身近になかった
というか、怖くて、逃げていたんですね。

父が急逝して今年で21年経ちますが
父の存在が急になくなってしまったことを悲しむより
私以上にダメージを受けた母を
とにかく支えなければという気持ちのほうが強かった。

基本的には自由に生きながらも
母を無意識に優先して過ごしてきたという感じです。

その母もいよいよ老い
その衰えを見守り、受け入れ、できる方法で寄り添い

いつか訪れる母との別れに
自分なりにどう備えるか
そのあとどう生きていきたいか

母の「今」を受け入れ、懸命に人のために生きてきた人を
少しでも穏やかな時間の中に置くか

そんなことに思いを巡らせる時間が増えました。

私の体も気持ちも本当に辛かったときに
私のそばに来てくれた愛猫娘も
実は心臓に爆弾を抱えていることもわかって

彼女もやはり
少しでも穏やかな時間の中に置いてやりたい

思い起こしてみると
私の身近な人の死は今まで遠かった

私が若かったからかもしれません

小学校の1,2年のときの父方の祖母の死
高校を卒業したばかりの春休みに急に旅立ってしまった美しく聡明な友
(痴呆と言われた時代に)電車で行かなければならない遠くの施設に入ったため
ほとんど顔を見に行くことをしないまま亡くなった母方の祖父母
私が中学生のときから16年生きてくれた柴犬

そして、
「もうそろそろゆっくりしたら」「そうだな」と言っていた矢先の父が
私の目の前の救急処置室のカーテンたった1枚向こうで本当に突然に逝ってしまったあの時

思い起こすと1つ1つは喪失だったけれど
自分の生き方や死への考え方を大きく変えることはなかったように思う。

その後
自分が体を壊し、生き方を変え
母の老いに直面することになって

今まで怖くてまともに相対することができないまま来ていた
いつかだれもが死ぬということを
日々どうやって自分の中に浸透させていくか
みたいな感じです。

日々に追われる毎日が多かったのですが

「死」を自分に近づけることで
今ある「生」や「健康であること」ってありがたいと感じることになり

心と体が健康になってきたら
こうやって書き留めておこうと思えるようになりました。

今現在の私の「ゆるやかなセカンドステージ」は
自分のしたいことをやって、イキイキ!みたいな動モードではありませんが
こんな時間もあってよかったなという感じです(^^)

そんななかで感じたことを
これからも書いていこうと思います。

にゃは★